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1922年(大正11年・0歳) |
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兵庫県養父市関宮(当時の養父郡関宮村)に生まれた。本名は山田誠也。父母共に代々続いた医者の家系で、父は関宮村で山田医院を開いていた。 |
1927年(昭和2年・5歳) |
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父・太郎が脳溢血で急逝。母(寿子)、誠也、妹(昭子)の3人が残される。誠也少年は絵が得意で「少年倶楽部」の挿絵をさかんに模写した。作文も得意で、早くも非凡な才能を見せ始めていた。 |
1931年(昭和6年・9歳) |
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母の実家・諸寄村(山陰の小さな漁村)へ転居。友人や故郷と別れる。 |
1933年(昭和8年・11歳) |
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母が叔父(父の弟で医師)と再婚し、山田医院を再開。関宮に帰る。 |
1935年(昭和10年・13歳) |
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県立豊岡中学(5年制)に入学。寮生活が始まった。 |
1936年(昭和11年・14歳) |
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母・寿子が肺炎で急逝。「魂の酸欠状態」に陥る。
叔父は再婚し、養父母になじめぬ誠也少年は「不良学生」となる。停学3回、修学旅行にも行けず、寮も追い出された。この頃に仲間で使った暗号名‘風’が後に「風太郎」というペンネームになった。 |
1939年(昭和14年・17歳) |
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学校の文芸誌「達徳」に、小説、詩を発表。表紙絵やカットも描く。雑誌「映画朝日」に初めて山田風太郎の筆名で投稿。 |
1940年(昭和15年・18歳) |
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卒業の直前、仲間と本を盗んだ疑いで警察に捕まり、留置場に入る。なんとか卒業はできたが、高校受験に失敗。
雑誌「受験旬報」に小説「石の下」が入選。 |
1942年(昭和17年・20歳) |
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2年間浪人するが受からず、8月・家出同然に上京する。品川の電気工場で働きながら受験勉強を続けた。途中、召集されるが肋膜炎を病んでいたため入隊を免れる。この年から詳細な日記をつけ始めた。 |
1944年(昭和19年・22歳) |
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東京医学専門学校(現在の東京医科大学)に合格。 |
1945年(昭和20年・23歳) |
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5月・空襲に会い、学校も焼かれ信州に疎開する。
10月・帰京するが、食料・物資欠乏で辛酸をなめる。 |
1946年(昭和21年・24歳) |
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雑誌「宝石」の懸賞小説で「達磨峠の事件」が入選。江戸川乱歩に認められ、あちこちの雑誌に推理小説などを発表し始める。 |
1949年(昭和24年・27歳) |
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「眼中の悪魔」「虚像淫楽」で、第2回・日本探偵作家クラブ賞を受賞 |
1950年(昭和25年・28歳) |
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東京医科大学を卒業するが医者にはならず、作家としてデビューする。 |
1958年(昭和33年・36歳) |
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雑誌に「甲賀忍法帖」を連載。後に空前の大ヒットとなる忍法帖シリーズの始まりである。 |
1963年(昭和38年・41歳) |
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新書版の「山田風太郎忍法全集」が爆発的にヒットし、人気作家の地位を不動のものとした。作品が次々と映画化され、一大忍法ブームが巻き起こった。 |
1971年(昭和46年・49歳) |
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昭和20年の日記が「戦中派不戦日記」として出版されるや、純真な一青年の手になる戦中・戦後の希有な記録として、また作家の知性と教養の深さを示すものとして、全国に大きな反響を呼び起こした。 |
1973年(昭和48年・51歳) |
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雑誌に「警視庁草紙」を連載。いわゆる「明治もの」シリーズが本格的に始まる。忍法帖とはまるで異なる新境地を拓いた作品群で、風太郎の評価は一段と高まった。 |
1986年(昭和61年・64歳) |
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異色のノンフィクション「人間臨終図巻」を刊行。話題となる。 |
1989年(平成元年・67歳) |
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「室町少年倶楽部」「室町の大予言」を発表。またもや「室町もの」と言われる新境地を拓いた。 |
1991年(平成3年・69歳) |
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新聞に「柳生十兵衛死す」を連載。これが最後の小説となった。 |
1997年(平成9年・75歳) |
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第45回菊池寛賞を受賞。エッセイ集「あと千回の晩飯」を刊行。 |
2000年(平成12年・78歳) |
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第4回日本ミステリー文学大賞を受賞 |
2001年(平成13年・79歳) |
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7月28日死去。自らつけた戒名は「風々院風々風々居士」。「風の墓」とのみ刻まれた墓碑が八王子市の川上霊園墓地に建つ。 |
2002年(平成14年) |
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世田谷文学館で大規模な追悼展開催される。 |
2003年(平成15年) |
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郷里の旧関宮小学校跡に「山田風太郎記念館」がオープン |
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大正11年
父 山田太郎に抱かれている風太郎
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母 山田寿子と
風太郎と妹 昭子
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中学生時代
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医科大時代
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作家デビュー当時
江戸川乱歩ほか
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角川映画
伊賀忍法帖ロケ地にて
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菊池寛賞受賞
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