山田風太郎・生誕の地・兵庫県養父市関宮(旧養父郡関宮町)

 

〒667-1105 兵庫県養父市関宮605-1
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<イベント予定>

第17回風太郎祭・企画展/風太郎の見た昭和二十年

[2019年11月07日]

第17回風太郎祭特別企画展
2019.11.24(日)〜12.27(金)
風太郎の見た昭和二十年
――『戦中派不戦日記』とその周辺 ――

★当記念館・展示室 にて

漫画『風太郎不戦日記』
= 週刊コミック誌『モーニング』(講談社) =
より、今回の展示に関係するシーンもパネルで紹介…!



C: 山田啓子・勝田文/講談社「モーニング」
今から二か月ほど前(八月二十九日)、週刊コミック誌『モーニング』(講談社)で、漫画『風太郎不戦日記』の連載が始まりました。
 これは山田風太郎の昭和二十年の日記『戦中派不戦日記』を原作とするもので、女流漫画家・勝田文さんの画になるものです。連載は月一回で、今月第三回目が掲載されました。
 そこで当館では、漫画の紹介も兼ねて、改めて地域のみなさんに風太郎の見た昭和二十年の日本(主に東京や但馬)の様子を、日記からの引用や写真で見ていただくこととしました。
 『戦中派不戦日記』は昭和四十六年に出版され、大きな反響を呼びました。
次にその「まえがき」での風太郎の言葉(冒頭部分)を紹介します。

『 ―― 私の見た「昭和二十年」の記録である。
いうまでもなく日本歴史上、これほど ―― 物理的にも ―― 日本人の多量の血と涙が流された一年間はなかったであろう。そして敗北につづく凄まじい百八十度転回 ―― すなわち、これほど恐るべきドラマチックな一年間はなかったであろう。
 ただ私はそのドラマの中の通行人であった。当時私は満二十三歳の医学生であって、最も「死にどき」の年代にありながら戦争にさえ参加しなかった。「戦中派不戦日記」と題したのはそのためである。・・・・・・・・・・』
 
なお風太郎の日記は昭和十七年から昭和二十七年までが出版されていて、そこには戦中・戦後の但馬も度々登場します。これらの日記は当館で貸出し中です。また連載の始まった漫画も置いていますので、ぜひご来館の上ご一読ください。
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