山田風太郎・生誕の地・兵庫県養父市関宮(旧養父郡関宮町)

 

〒667-1105 兵庫県養父市関宮605-1
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<イベントレポート>

関神社の護符と茅の輪

[2020年08月20日]

風太郎の生家のすぐそばにある関神社=B飛鳥時代、疫病を関き止めたと伝えられています。
関神社の祇園祭では、今も茅の輪をくぐり、夏越の祓をします。

記念館では、悪疫退散と皆様のご健康を祈念して、関神社≠フ護符と茅の輪を販売しています。

〇関神社縁起
創建は飛鳥時代、皇極天皇元年(六四一年)という。
この年、外国より疫病が侵入し、西国に死人が多数出たため、これを憂いた天皇が、山陰道の羽山(はやま)(関宮)と山陽道の廣(ひろ)峯(みね)(姫路)で牛頭(ごず)天王(てんのう)(※1)を勧請し、悪病を関き止め≠ト都へ入るのを防いだと伝わる。これより関(せき)神社≠フ宮号を賜り、中島村といった村名も関宮(せきのみや)村と改めたと伝わる。
 祭神は牛頭天王と同体とされる素戔嗚(スサノヲノ)命(ミコト)と稲田(イナダ)姫(ヒメノ)命(ミコト)である。毎年初夏の祇園祭≠ナは夏越(なごし)の祓(はらえ)として、茅(ち)ノ(の)輪(わ)くぐり≠ェ行われている。また、悪疫退散の護符として蘇民将来(そみんしょうらい)子孫家(しそんけ)=i※2)のお札も発行している。


〇関神社と風太郎
家に居ながら祭囃(まつりばやし)や芝居のどよめきが聞こえるほど、関神社のすぐそばで生まれ育ったのが、作家の山田風太郎(本名・誠也)である。
早くに両親を亡くし、二十歳で上京してからは作家になってからもほとんど故郷に帰ることのなかった風太郎にとって、少年誠也のころに駆け回った神社の境内は、今も残る生家とともに忘れがたい思い出の地であった。

〇牛頭(ごず)天王(てんのう)(※1)
頭は牛、身体は人の姿をした神で、祇園精舎の守護神として祇園社の祭神であった。後に神仏習合によって、牛頭天王は薬師如来の垂迹であるとか、スサノヲノミコトと同体であるとされてきた。関神社でも寛永五年奉納の御神鏡の裏には牛頭天王≠ニ陽刻されている。
京都の八坂神社では平安時代から牛頭天王を祭り、疫病神を鎮め退散させるために花笠や山鉾を出して市中を練り歩くようになったが、これが今に続く祇園祭の起源とされる。

〇蘇民将来(そみんしょうらい)説話(※2)
「備後国風土記」によれば、昔、武塔(むとう)神(しん)(実はスサノヲノミコト)が旅の途中、長者の巨(こ)旦(たん)将来(しょうらい)に宿を求めて断られ、貧しい弟の蘇民将来(そみんしょうらい)に温かく迎えられた。後に武塔神はその時のお礼にと妻子を伴って蘇民将来の家を訪ね、「後の世に疫(え)気(やみ)あらば蘇民将来の子孫≠ニ称えて茅(ち)ノ(の)輪(わ)を腰に着けていれば悪疫を逸れられる」と教え、これによって蘇民一族は命を救われたと伝わる。
これより蘇民将来子孫≠フ札が悪疫退散の護符として配られ、疫病のはやる初夏には茅ノ輪≠くぐる夏越(なごし)の祓(はらえ)が始まったとされる。
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